La Casa Colonica 農家

トスカーナ地方には多くの農家が残っていますが、現在は別荘やB&B、アグリツーリズモの拠点などに生まれ変わってきています。
前々回のブログでご紹介した「季刊ランドスケープデザイン(マルモ出版)89号」の記事も古い農家を購入して全面リフォームしたシエナの設計事務所Citera Studioの作品です。
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彼らは風景に溶け込むガーデンを造り上げています
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こちらはフィレンツェの少し郊外、古い農家を全面リフォームをして暮らしている友人の家です
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同じ地域には農家の名残がある家が多く点在します
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イタリアにもMezzadriaという小作人制度(分益/寄生地主制)に近い農地経営の形が存在しており、第二次世界大戦後より更に数年間、20世紀中間までトスカーナ州で続いたと言われています。
地主は農民に土地を貸し(農地)、土地内の家に住まわせていました。この家はCasa colonica(カーサ・コロニカ)と呼ばれています。通常は地主所有の古くなった元家や14-15世紀建造の修道院でしたが、特殊な例として17世紀終わり頃に現地発生土で作られた「土の家」に住まわせる地域もあったそうです。作物や家畜の50%が地主に入り、小作人の生活は厳しいものでした。

今回は当時の小作農家の家族が住んでいた家の間取り例と生活風景を紹介したいと思います。
(イタリアのある書物より抜粋)

小作農家はかなりシンプルな造り、地上階は割と広め(仕切りが無い)に台所兼居間、主に家族が過ごす場所があります。特に厳しい冬は子供も祖父母も、家族全員が暖炉の火の前で一緒に過ごし、豆を剥いたり、小さな仕事をしていたようです。暖炉のフード下には大なべがあり、いつも湯を沸かし調理や家事につかっていました。
暖炉に近い場所に台所、天火が2-3か所あり、大きさの違う三脚台が置かれていました。かまど(オーブン)では週末(金か土が多い)に1度、火を入れ、パンを焼きます。かまどの火をおこすのが週に1回であるのは、金銭的な理由です。強い火力を起こすのは高価であったため、火をおこした家庭では近所の知人友人に声をかけ、一緒にパンや肉、時にはピッツァを焼いたそうです。貧しい農家では塩無しのパンが主流で、これが現在のトスカーナの塩味のないパンの歴史に繋がっていると言われています。南イタリアでは塩味の強いパンが主流ですが、トスカーナは味のないパンが多いのです。
焼いたパンは2週間保存したようですが、美味しいのは最初の1週間までとの記述がありました。農家の家族は2-3世代が一緒に住んでいるため、一気にたくさん焼き、保存することが大事なことでした。
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同じ地上階に家畜小屋がありますが、通常はエントランスが別々で一度外に出て隣のドアから入るような作りでしたが、別の形態としては台所兼居間が2階にあり、地上階の家畜小屋には小さな螺旋階段やはしごで行き来していた造りもあったようです。冬や早朝に外へ出ず直接世話が可能ではありましたが、この形態では家畜の臭いなど、問題もあったようです。

家族は常に家の中で一番暖かい場所に集まり、祖父母の話を聞き、それをまた自分の子供に語り継ぎ、歴史や世の中のことを勉強したと書かれていましたが、テレビもラジオも無く、夜の光はランプだけ、子供たちは毎晩、大人の話す物語や昔話を楽しみにしていたようです。

地上階(1階)は台所兼居間、家畜小屋に加え、畑土や肥料置場、餌置場、貯蔵庫があります。肥料は栄養価の高い肥沃なものを備えていて、外の畑に運べるように、牛車(馬車)の通り道に直結しています。貯蔵庫は台所に繋がっていて、ワインの大瓶、酒醸造用の桶や樽が置かれています。オリーブオイルは台所で管理されていました。

2階は2-3部屋に分かれ、家族の寝室です。実際は子供たちが多く、小さい子は両親の足元に寝ていたとあります。

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トスカーナの田舎には鳩小屋(2階)をもつ農家もあり、彼らの重要な食物だった時期(1600年代の終)があります。鳩小屋の下にはブドウ干場、常に高温に設定され、ヴィンサント、コニャック、マルサラ酒の元になる乾燥ブドウが作られていました。

農家の離れ(2階建て)があります。1階にウサギ小屋と色々な種類の肥料が置かれ、2階に干し草倉庫があります。毎日、2階の干し草を引っ張りおろし、家畜に与える作業が続きました。
離れの近くに藁の山があり、同じ区画内の豚小屋、鶏小屋の敷き藁に利用していました。

フェンスで仕切られた約30m×40mの大きなレンガの麦打ち場があります。ここで農場で採れた作物の脱穀作業などを行います。
小作人農家は夏はこの麦打ち場に、冬は暖炉の前にいる生活を続けていました。時々、麦打ち場でダンスをしたりパーティをすることが楽しみでした。

麦打ち場の近くに井戸があり、源泉の水を汲んでいました。人間も動物も畑や果樹園も全てこの水で賄っていました。
農家によっては更に牛乳からチーズをつくり、木の幹をトンネルのように加工し、その中で蜂の巣を育てて蜂蜜を取っていました。養蚕もはじまり、19世紀には絹産業が急激に発展しました。蚕は桑の葉のみを食べて育つことから簡単に稼げる仕事として認識され、当時の法律で「1農家に必ず4本以上の桑を植えること」とあったそうです。しかしながら農家にとって養蚕業は金銭的に厳しく、徐々に減少し、1930年の終わりには衰退しました。

トスカーナだけでなく、イタリア各地の古い農家は多く、歴史を受け継ぎながら、新しい形に変化を続けているようです。
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by ciaosae | 2013-05-13 09:12 | LAVORO(仕事) | Trackback | Comments(0)
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