Villa Erba(Gardenia 01.2013)

イタリアのガーデン雑誌「gardenia ガルデニア」を紹介します。
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2013年1月号で、京都の造園家、作庭家である北山安夫氏が紹介されています。
コモ湖に面する有名なVilla Erba(エルバ邸)で開催されたORTICOLARIO 2012(オルティコラーリオ)の中で禅の庭を表現した様子が記載されています。

Villa EsteのHPはこちら
エルバ邸は16世紀修道院であったこの地に1898年に建造された邸宅です。イタリアの名高い映画監督Luchino Visconti(ルキーノ・ヴィスコンティ)が避暑地として愛した場所でも知られています。現在、1階の大広間は会議や食事会・祝宴などに利用可能、2階はオフィスとして利用されているようです。美しいフレスコ画に包まれた大階段は当時からの豪華さを残しています。同敷地内にはMario Bellini(マリオ・ベッリーニ)設計の国際会議センター(1990)があり、色々なイベントや国際会議が行われています。
禅の庭はガラスの大温室のような国際会議場に囲まれたガーデン内に造られました。
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この記事は全く違う文化、神に対する考え方をもつイタリア人記者による取材、それに応える北山氏のコメントがイタリア語で書かれていると新鮮、かつ難しく思いました。
別の国の言葉で「ZEN 禅」の精神や手法を説明するのは一筋縄ではいかず、読む人々にどう理解されるんだろう?と興味を覚えます。もしかしたら間に入る通訳さんが一番重要になるのではないか?とふと感じました。

記事の中で北山氏は「いつでも何も見えないところからはじまる」と話しています。

このヴィラは湾のようなコモ湖に面し100種以上のプラタナスの大木に包まれています。
「この空間には2つの柱がある、それは緩やかな土地のラインと大きな樹である。主人公はこの木だ」と包まれたプラタナス群の中の1本を指しながら語ります。
「このプラタナスは別々の2本の幹が寄り添い1つの大きな樹にみえる。大きい方が小さい方を守るような形、しかし小さい樹の方が葉を豊かにつけて大きい方を包み込む」

「この樹に神が宿っている。この樹を前にしたら私など森の中の小さな存在」

北山氏は庭のデザインは心にあるものとし、シンプルなスケッチを描くだけで、全ては直接造り上げていきます。
「禅とは“無心”空虚と言う意味ではなく欲望や考慮のない自然に身をゆだねた状態である」
自然に身をゆだねるには心深くまで無心となる、清らかになることとうたっています。

記者は北山氏が実際に作庭する姿に魅力を感じ、熊手や挟みを使うしぐさを見ているうちに少しずつ彼の心と近づいて思考を感じ、全く知らない日本庭園の文化を理解できる気がしてきたとあります。それでも理解は難しい、自分にとって“日本庭園を読む”という新しい思考を深く掘り下げていきたいと。
日本語からイタリア語へ、そして私が理解したこの内容は果たして本来の言葉に沿っているのでしょうか・・・。
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石組の手法である立石をベースに、あたかもその場に昔からあったかのようにみせる配置です。見る側からの重なり感、どこからでも重ならず存在を見せる美しいシルエットをみせています。
「石と共に仕事をしている。石にも植物にも魂が宿っている」

建物の中に入ってガラス越しに庭を眺めてみます。内と外の関係は、互いに中の人は外にふっと入ったような気になり、外のものが中に入ってくるような錯覚の発見があると話します。
「この窓から見る風景、自然が主役、でもほとんどの人は立ち止まらず先に進むだろう。それでも少しの時間だけでも安らぎを求める人がいて立ち止まれば、庭の中にゆっくりゆっくり、庭へ気持ちが繋がり入り込む。その時だけ自然の中で自分自身が主役になる、自然と人間が逆になる」
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この記事はイタリアの読者にどう感じ取られるのでしょう。感想を聞いてみたいですね。

Orticolario 2012 イベントのHPはこちら
ゆっくり時が流れる雰囲気のイベントの様子はこちら

以下HPより拝借しましたイベントの写真をアップします。
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